精進落としが、立食ビュッフェなんて。でも、当家が決めた事こそが通夜・葬儀の形です。
もうそろそろだと分かっていたはずなのに、「その時」は突然やってきました。亡くなった会長は創業者でもあり、私たちの父親でもあるので、私たち家族と会社の合同葬という形を取ることになりました。 葬儀社ですから、家族で「どんな葬儀にしたいか」なんて話をしたこともあります。父がよく言っていたのは「葬儀社らしい葬儀をやりたい」ということ。私はそれにプラスして、父の人柄を表した式にしたいと思っていました。だから、通夜振舞いを立食形式にして、父を囲んで皆でワイワイしながら飲み食いするということを、どうしてもやりたかったんです。通夜の前日は社員が、通夜の日は参列者の方々が、思い出話に花を咲かせながら楽しそうに過ごしている様子を見て、あぁ、親父も喜んでいるだろうと思いました。しんみりした別れは苦手な人でしたから。
非日常空間を、日常空間に!
もう一つ、家族で話をしていたことがあります。それは「ちゃんとお別れをしたい」ということです。形式ばっていて、亡くなってから2,3日で荼毘に付されてしまう。そんな葬儀にはしたくありませんでした。葬儀の準備や、役所への手続き、お世話になった方々への連絡…それらをすべてやりながらも、ゆっくり親父と向き合いたい。家族で過ごす最後の時間を大切にしたい。そう思っていました。だから、私たちは、葬儀まで1週間という時間をかけました。
この時の経験が、のうひ葬祭の新しい式場「よりそいの家族空間Familia」が誕生するきっかけとなりました。だからFamiliaは、家族でゆったり過ごすためのこだわりが詰まった空間になっています。大切な方と過ごす最後の時間、家族みんなが集まることのできる最後の時間。それがどれほど大切で貴重なものなのか、会長の葬儀を通して身に染みて分かったのうひ葬祭だからこそ生まれた空間です。
悔いのないお別れ
葬儀の日の朝は、普段なら本社で行う朝礼を式場で会長を囲んで行いました。ただそれだけのはずなのに何故だか想いが込み上げてきて、思わず涙ぐみました。短い時間でしたがとても感動的で、忘れられません。
本当なら、大事な人とお別れなんてしたくはない。でも、「その時」が来てしまったからには、精一杯送り出したい。葬儀に正解なんてものはないけれど、葬儀に関わった誰もが「いい式だった」と言えたのなら、その人たちにとってその葬儀は“大正解”で終えることができたと言えるでしょう。
私たち家族にとって、そしてのうひ葬祭にとってこの日の式は、忘れることのできない、いいお式になりました。