「葬儀に正解はない」と言いますが、いまだに自分の中に引っかかり続けているお葬儀があります。
中学生のお子さんのお式を担当させていただいた時のことです。
当時、自分の子どももまだ幼く、子どもを亡くすという状況を想像しただけで胸が苦しくなりました。
「想像しただけの自分がこんなにも苦しいのに、ご遺族の方はいまどんなお気持ちなのだろう」
「そんな状況になった時、自分だったら立っていられるのだろうか」
そんなしんどい気持ちを抱えたまま、ご自宅へ伺いました。
お打ち合わせ初日は、葬儀のパンフレットを一度も広げることなく終わりました。
「来週、家族でここへ遊びに行こうって予定を立てていたんです」
そんなお話を2~3時間、お聴きして帰ってきました。
特にお母様のご様子が心配でした。
ずっとうなだれていて目も合わず、挨拶なんて当然できず、
ただ黙って、横に座って時間を過ごしました。
次の日に伺うと少し表情も戻られていて、ほっとしつつお打ち合わせを進めました。
「写真を飾ってあげてはいかがですか」
「ご出棺の時に、中学校に寄るというのはどうですか」
何かやってあげられることはないか、と考えて出したご提案は、
ご両親の配慮や心配によって、ボツになったものも多くありました。
それでも、メッセージを寄せ書きしてもらって飾ったり、中学生の子が自転車で式場まで来られるような配慮をしたり、
お式が終わる瞬間まで“いま出来ること”を模索し続けました。
ご葬儀が終わった次の日、私は体調を崩して寝込みました。
そのくらい、頭も心もフル回転させて寄り添った数日間でした。
いつもならご葬儀が終わった後にお家へお邪魔して、お参りをさせていただいたり、
お話を聴かせていただいたりするのですが、この時は行けませんでした。
自分が葬儀後にお邪魔することで、余計に辛くさせてしまうかもしれないと思って躊躇したからです。
ですが今の自分なら、違う選択をしたかもしれません。
あの時のことが今でもまだ、心に引っかかり続けているのだから、
“いま出来ること”をもう一度、考えてみようと思います。
”地域の不安を、安心に変える”
美濃加茂市・可児市・八百津町での
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