閉ざされた心
私が人に持たれる印象は、「気難しい・偏屈・厭味ったらしい」等。碌なものではありませんが、私はそれでいいと思っています。反対に、妻は私なんかにはもったいないくらい気立てのいい女性でした。私の人生唯一の自慢は、彼女と人生を共に出来たことだと思っていますが、伝えたことはありません。
別れの時は存外早く訪れました。私も体力的に厳しいため、喪主は息子に任せることになり、葬儀は何とか滞りなく済ませました。骨箱や遺影は娘に引き取らせ、煩雑なことは全て片付き、やっと平穏な毎日が戻ってくると思いました。
打ち明けられなかったお客様の本当の想い
ある日、私を訪ねてきた女性がいました。のうひ葬祭のスタッフさんです。
その方は、以前は妻と法要や引き物の話をしては何くれとなく世話を焼いてくれたのですが、私は特に興味がなく、顔見知り程度の間柄です。
その女性が来たときの間の悪さには閉口しました。
妻のことが頭をよぎり、たまたま涙腺が緩んだところだったのです。
玄関先で私の顔を見るなり、具合でも悪いのか、花粉症なのか、とその人は尋ねてきました。それがまたいけなかった。次から次へと涙が溢れだし、あろうことか「ショックが大きすぎて、気持ちの整理がつかなくて、毎日何もいいことはなくて…」等と口走ってしまったのです。私が何とか自分を落ち着かせようとしている間、その人はただ、そこにいてくれました。そして、やっと涙を止めて「すいませんね」と言った時、彼女が言ったのは「また来ますね」という一言。それを聞けて、一瞬だけ心が晴れやかになりました。別に期待しているわけではないですが、次に訪ねて来たときには、お茶くらい出そうかと考えています。
おせっかいは、たいてい自分がそう思って躊躇するだけ
奥様がお元気だったころご訪問した時に、旦那様がお家にいらっしゃることもありました。その時はほとんど奥様に任せていらっしゃったので、私もそこまでお話をすることはなかったんです。
気難しい方だということは分かっていたので、あの時も実は少しドキドキしながらご訪問したのを覚えています。お式の写真をお渡ししたら、すぐに失礼しようと思っていましたが、チャイムの音を聞いて出てきてくださったときのお顔を見たら、そんな考えは一瞬で吹き飛びました。
「え?あの人が?放っておけない!」と思いました。初めはちょっと疑って、「花粉症ですか・・?」なんて言っちゃったんですけどね。そうじゃないことはすぐにわかりました。
娘が毎日来てはご飯を食べて風呂に入って帰るけど、長い髪の毛が落ちているのを見てイライラするから来なくていい。何も良いことはなくて、毎日ただやる気が起きなくてやるせない。そんなことをこぼしながら、玄関先で大号泣しているこの人を目の前にして、あとはもう、私に出来ることはただ一つでした。ひたすら待つだけです。
あんなに一本気に見える方でも、やっぱりショックなんですよね。大事な人を亡くすということって。祭壇やお骨は娘さんのお家に持っていかせたのだってきっと、奥さんを思い出させるものが目の前にあることに耐えられなかったからなのでしょう。それだけ悲しみは深くて、なかなか立ち直れず、一人で苦しみ続けてきたのでしょう。
やっと涙が治まってきたころ、とてもばつが悪そうに「すいませんね」と呟かれました。元の自分に戻ろうとしているんだな、と感じました。でも、一人で苦しみを抱え続ける状態に戻られては困ります。だから、泣き顔を見られた相手にこんなことを言われたら嫌がられるかもと思いつつ、一言だけ声をかけて帰りました。「また来ます」と。