いつものうひ葬祭を温かく見守って下さりありがとうございます。
皆様にもっとのうひ葬祭の事を
知って頂きたいと思い、
歴史を振り返りながら投稿させて頂いております。
平成10年(1998年)
家族以外の社員が数名入社し
現場を任せられるようにもなってきました。
孫も6人目が誕生して
何となく皆んなが小さな幸せを感じていた頃、
家族は亡副社長清子の異変に気付きます。
病院へ行く事を拒絶し続ける亡副社長。
三男が騙すような形で病院に連れて行き、
検査を受けた結果
癌。
余命半年。
家族は一気に絶望の淵に追いやられました。
まだ亡会長と亡副社長の2人だけでやっていた頃、
ある出来事があり、
しばらく亡副社長清子1人だけで
葬儀の仕事をしていた時期があったそうです。
現社長が高校生の頃です。
友人の方に儀式のお手伝いはお願いして、
お客様の所に伺い葬儀の受注・納棺は
亡副社長が走り回っていたそうです。
その当時を現社長は振り返って
『高校生だったから車の免許もなく、何も手伝ってあげれんかった。
免許さえあれば夜中運転してあげれたのに。』
と悔しそうに言っていました。
亡会長が不在の期間、亡副社長は投げ出す事なく
弱音も吐かず1人でやり続けたそうです。
そんな亡副社長の姿は、息子達だけではなく
地域の皆様にも知れ渡り、
のうひ葬祭の社長は清子さんだという認識が
生まれていったそうです。
あの時の亡副社長の頑張りが無ければ
のうひ葬祭は存続していなかったでしょう。
そんな大きな大きな存在、
のうひ葬祭そして鈴木家の中心であった
亡副社長清子。
平成10年54歳でこの世を去りました。
菩提寺での葬儀。
自分達で段取をして、
飾り付けをし、
迎えた葬儀。
沢山の方がお別れに来て下さいました。
本当に感謝の言葉しか出てきません。
ありがとうございました。
亡副社長が亡くなり、
皆んなの中の時間が止まりました。
これから誰を頼りに生きていけばいいのか。
この先会社はどうなってしまうのか。
先が見えない暗闇の中に放り出されたみたいでした。
大切な存在を失った私達は、
地域で一番お客様に必要とされる会社になる事が
亡副社長が一番喜ぶ事だと思い、
家族・社員一丸となって、地域一番店を目指す事を目標にしました。
亡副社長に見せてあげられなかった
のうひ葬祭初の葬儀式場
【のうひグリーンホール前平(旧・美濃加茂)】
亡副社長がこの世を去った翌年
平成11年(1999年)に完成しました。
株式会社濃飛葬祭 副社長 鈴木ゆかり