のうひブログ
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【のうひ葬祭ヒストリー②】
いつものうひ葬祭を温かく見守って下さりありがとうございます。 前回からの続きで、弊社の歴史を振り返ってみます。 昭和56年(1981年)、 亡会長朝典(令和元年没)と亡副社長清子(平成10年没)の二人で創業。昭和62年(1987年)までは夫婦二人でがむしゃらにやってきたと聞いています。 そして昭和62年(1988年)から平成5年(1993年)までの約6年間の…
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のうひ葬祭ヒストリー①
いつものうひ葬祭を 温かく見守って下さりありがとうございます。 皆様にもっと 我々の会社の事を知って頂きたいと思い、 これから少しずつではありますが 発信していきたいと思います。 良かったらお付き合い下さいませ。 株式会社濃飛葬祭は、 昭和56年に岐阜県加茂郡川辺町という小さな町に産声をあげました。 創業者は、鈴木朝典(令和元年没)と鈴木清子(平成10年没)…
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お葬式=みんなで創る式
喪主のあなたが司令塔です! 義母の葬儀の思い出話になると、皆が口々に「大変だったけれどみんなでおくることができてよかった」と言います。私はそれが、のうひ葬祭の担当さんのおかげだったと感じています。 喪主を務めていたのは旦那です。旦那は何となく頼りない印象を与える人ですが、あの時もあたふたするばかりで、周りも諦め半分で傍観していました。そんな私たちの状態を見た…
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おせっかいと感じるのは自分ではない
閉ざされた心 私が人に持たれる印象は、「気難しい・偏屈・厭味ったらしい」等。碌なものではありませんが、私はそれでいいと思っています。反対に、妻は私なんかにはもったいないくらい気立てのいい女性でした。私の人生唯一の自慢は、彼女と人生を共に出来たことだと思っていますが、伝えたことはありません。 別れの時は存外早く訪れました。私も体力的に厳しいため、喪主は息子に任…
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葬儀屋の親父らしく
精進落としが、立食ビュッフェなんて。でも、当家が決めた事こそが通夜・葬儀の形です。 もうそろそろだと分かっていたはずなのに、「その時」は突然やってきました。亡くなった会長は創業者でもあり、私たちの父親でもあるので、私たち家族と会社の合同葬という形を取ることになりました。 葬儀社ですから、家族で「どんな葬儀にしたいか」なんて話をしたこともあります。父がよく言…
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葬儀に正解はない
「葬儀に正解はない」と言いますが、いまだに自分の中に引っかかり続けているお葬儀があります。 中学生のお子さんのお式を担当させていただいた時のことです。当時、自分の子どももまだ幼く、子どもを亡くすという状況を想像しただけで胸が苦しくなりました。「想像しただけの自分がこんなにも苦しいのに、ご遺族の方はいまどんなお気持ちなのだろう」「そんな状況になった時、自分だっ…