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のうひ葬祭のお葬式

        

のうひ葬祭の式場

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可児市

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のうひブログ

綺麗事ばかりではない、それも葬儀です

壮絶な日々を超えて

90を過ぎて亡くなった母。生前、何かと世話をしていたのはいつも私でした。私も70を超え年齢的な厳しさを感じつつも、誰にも頼ることができず、母の入所先へ行くときはいつも一人でした。「なぜ私ばかりが…こんな毎日は早く終わってほしい」という思いは日々募っていきましたが、それを誰かに言うようなことはしませんでした。ただひたすら、耐える日々が続きました。
抱え込んだ想いを誰にも言えなかったのは、そんなことを思う自分が後ろめたかったからです。更に言ってしまうなら、「長生きしすぎ」と、ずっと思っていましたが、そんなことを思っている自分を自分でも認めたくなくて、見て見ぬふりをし続けました。もしこの想いを認めてしまったら、私は息子失格なんじゃないか。そんな不安を常に抱えたまま母に会いに行く時間はとても憂鬱で、苦しさばかりが積み重なっていきました。

誰も触れない、触れられない、頼る事ができない、隠されがちな真実。

そんな母もとうとう亡くなり、私たち家族が葬儀の準備に追われる頃、家に納棺師の女性がやって来ました。
丁寧に母に手を合わせ、白い綿で母の顔をぬぐって。私の代わりに、母を大事に扱ってくれているように感じました。息子らしいことは何もできなかった私の代わりに。母に対して、後ろめたい想いを抱えた私の代わりに。
ふと、「言ってもいいかな」という気になったんです。「母さんがいなくなってくれて、実はちょっとほっとしてる」家族には聞かせられない言葉。墓場まで持っていこうかと思っていた、黒々とした感情。なぜかこの人になら、何でも言える気がしました。
私のその言葉を、彼女は当然だと受け止めてくれました。「誰もが抱く感情だから、大丈夫。あなたはよく頑張った。」と労ってくれているように感じ、心の底からほっとしたんです。初めは驚きました。「親に対してそんなことを言うもんじゃない」と、たしなめられるかもしれないと予想していたからです。もしそう言われていたらきっと、もう二度と誰かにこの話をしないと誓ったと思います。でも、実際は違いました。
今思えば、誰かに肯定してほしかったのだと思います。あなたは間違っていない、あなたはやりきった、と。後からじわじわと、心が温かくなっていくのを感じたことを覚えています。

過去があってこそ、未来がある

こうやって、どんな私であっても丸ごと認めてくれる人がいてくれたから、穏やかな気持ちで母を送り出すことができました。後悔のないお別れをすることができました。
もしあの時、あの納棺師の女性に出会えなかったら。もしあの時、私が吐露しなかったら。きっと今でも母との最後の日々は、思い出したくもないただ辛いだけの日々になっていたでしょう。私の人生最大の後悔になっていたことでしょう。
今は、あの大変だった日々を思い出すときは、「あの毎日があったから今の私がある」と思っています。あの時、自分の正直な気持ちを認めることができて、心から良かったと思っています。