いつものうひ葬祭を温かく見守って下さりありがとうございます。
前回からの続きで、弊社の歴史を振り返ってみます。
昭和56年(1981年)、
亡会長朝典(令和元年没)と亡副社長清子(平成10年没)の二人で創業。
昭和62年(1987年)までは夫婦二人でがむしゃらにやってきたと聞いています。
そして昭和62年(1988年)から平成5年(1993年)までの約6年間の間に、
長男(現社長)、次男、三男、そしてそれぞれの嫁が続けて入社。
一気に8名の会社になりました。
会社と言っても、川辺町中川辺にあった「川辺本店」と呼ばれていた所は、
太部古天神社の前にあった今にも崩壊しそうなボロボロの一軒家でした。
床は白蟻にやられていて、運が悪いと床を突き破ってしまうような状態。
トイレはかめに板が2枚渡してあるだけで、
「私は何時代にタイムスリップしたのだろう」と思う事がしばしばありました。
会社にとって私達が初めての社員という事で、
人を雇うという事がどういう事なのかを理解している人がいない状態でした。
給与は?給与日は?社会保険は?雇用保険は?就業規則は?
始業時間は?タイムカードは?休みは?有給休暇は?
30年程前、前職が某電機メーカーだった私は、
会社とはこういうものだという思い込みがありました。
30年前ではありましたが、某電機メーカーでは1枚の電子カードが
タイムカードであり、社員食堂でも売店でも使え、
会社の製品が買えるクレジットカードにもなっていました。
土日祝日・大型連休・お盆・年末年始
休むのが当たり前。
年間休日が決まっていました。
休みは勿論仕事はしない。
終業時間になってタイムカードを押したら、仕事は一切しないし考えもしませんでした。
それが当たり前だと思っていた私はかなりの衝撃を受けました。
葬儀社は24時間365日営業。
今思えば当たり前の事なのですが、早朝だろうが夜中だろうが
お客様からご依頼があれば即駆けつける。
お風呂に入っていようが寝てようが電話に出る。
家族や友人と約束をしていても仕事が入れば「ごめんなさい」。
約束が出来ない、先の予定が立てられない状態でした。
今でこそ、妊娠して大きなお腹で仕事をしている方がいても
驚く事は少なくなってきましたが、
30年近く前に大きなお腹を抱えた妊婦さんが、
自宅葬の飾り付けや、納棺のお手伝いにやってくる。
そんな珍しい葬儀社でした。
この6年間は、若い6名のエネルギーが全開の時代でした。
今回の写真は、
『家族で旅行なんて一生出来ないかも。』
そう思っていた私達の最初で最後の家族旅行。
平成10年8月
亡副社長清子に癌が見つかり、急遽家族全員で下呂温泉に行った時の写真です。
この写真を見ると、今でも涙が溢れてきます。
株式会社濃飛葬祭 副社長 鈴木ゆかり
”地域の不安を、安心に変える”
美濃加茂市・可児市・加茂郡八百津町での
ご葬儀はのうひ葬祭にお任せください