のうひブログ

2020年12月8日(火)

  • コラム

【のうひ葬祭ヒストリー① 】

【のうひ葬祭ヒストリー① 】
 
いつものうひ葬祭を
温かく見守って下さりありがとうございます。
皆様にもっと
我々の会社の事を知って頂きたいと思い、
これから少しずつではありますが
発信していきたいと思います。
良かったらお付き合い下さいませ。
株式会社濃飛葬祭は、
昭和56年に岐阜県加茂郡川辺町という小さな町に産声をあげました。
創業者は、鈴木朝典(令和元年没)と鈴木清子(平成10年没)の夫婦。
亡会長朝典は、幾つかの職業を経験する中で葬儀用品の卸業者を経て、独立して葬儀会社を立ち上げる決心をしました。
昭和56年。
世の中はまだまだ葬儀会社に対する偏見が強い時代。
親戚中に反対され、葬儀社を始めるなら縁を切ると言われながらの船出となりました。
亡副社長清子は、岐阜県羽島市の裕福な家で育った8人兄弟の末っ子娘。多くの人に守られながら育ったいわゆるお嬢様。家事もした事がなかった清子でしたが持ち前の負けず嫌いの精神で、やった事も見た事もなかった葬儀の仕事を手伝う事になっていきました。
やがて清子は、この地域では初の女性納棺師として地域の皆様に信頼される存在へとなっていきました。
亡会長朝典が常に言っていた言葉、
『真心でご奉仕』
出来るか出来ないかは後から考える。
まずは困っているお客様の所に駆け付け、ご要望をお聴きする。
そして出来る事を考える。
これは今でも社長がよく言う言葉でもあります。
そして亡副社長清子が私に言ってくれた言葉の一つが、
『仕事を選ぶな』です。
どういう事かというと、
納棺師としてデビューしようとしていた私の初仕事が、事故で亡くなった自分の子供と同じ位の年齢(3歳位)の子供さんの納棺の仕事でした。
躊躇する私に亡副社長が言い放った言葉。
『この仕事はやるけど、この仕事はやらないって仕事を選ぶくらいなら最初っからやるな』とビシッと言われました。
その言葉で目が覚めた私は、亡副社長に見守られながら初納棺の仕事を終える事が出来ました。
今でもあの時の映像ははっきりと覚えています。
あの時言ってもらってなかったら、私はきっと逃げる癖が付いてしまっていたと思います。
厳しくも優しかった副社長とのエピソードでした。

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